最近、自分が納品した訳文の校閲結果を送ってもらえることがある。これが結構ありがたい。
仕事を始めたばかりの頃は、ダメ出しで送られてきたことはあったが、最近はなかった。「チェックの仕事もお願いしたい」といわれているので、そのための参考用だと理解している。その翻訳会社の社長さんからは「校閲結果を見せると翻訳者同士が揉めるので、一定レベル以上の翻訳者にはあまり見せないようにしている」とも聞いたことがある。あきらかに自分のミスであれば、これはもう縮こまって反省を重ねながら“次の仕事が来るのを願う”しかない。が、いろいろと検討を重ねた結果として“A”ではなくあ・え・て“B”と訳出したものを、校閲でわ・ざ・わ・ざ“A”に戻されていた日には、多少なりとも反論したくなるかもしれない。
訳文を仕上げる際に、最終的に重要になってくるのはバランス感覚だと思う。翻訳には“正解がない”ともいわれる。ある部分的なテキストに対して言葉の上では“A”と訳すことも“B”と訳すこともできる場合に、“A”・“B”のどちらかをその部分の絶対的な正解とすることはできない。それでも個別のケースでは、テキスト全体だけでなく読み手や書き手などの外部環境を含めた全体を考慮した上で、どちらがより適切であるかという判断を迫られる。時間的な制約もある。その判断の根拠になるのが“バランス感覚”だと、ここでは考えている。第三者にチェックしてもらった結果を素直に
(ときに不愉快に思いつつも)受け入れて、自分の中で消化することにより、バランス感覚が養われていくと信じたい。たとえ意見が相容れなくても、その対立からしかバランスは得られないようにも思う。時間的に許されるならば、むしろとことん揉めるべきだと…。
…というわけで、純粋に日本語としてのチェックをお願いしている中国語の読めない家庭内チェッカー
(妻)とは揉めることが多い。
と、書いていたらチェックの仕事が入った。…>>More