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『ほんやく修行』中国語
kushiyama.exblog.jp
カテゴリ:翻訳を考える( 4 )
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 最近、自分が納品した訳文の校閲結果を送ってもらえることがある。これが結構ありがたい。

 仕事を始めたばかりの頃は、ダメ出しで送られてきたことはあったが、最近はなかった。「チェックの仕事もお願いしたい」といわれているので、そのための参考用だと理解している。その翻訳会社の社長さんからは「校閲結果を見せると翻訳者同士が揉めるので、一定レベル以上の翻訳者にはあまり見せないようにしている」とも聞いたことがある。あきらかに自分のミスであれば、これはもう縮こまって反省を重ねながら“次の仕事が来るのを願う”しかない。が、いろいろと検討を重ねた結果として“A”ではなくあ・え・て“B”と訳出したものを、校閲でわ・ざ・わ・ざ“A”に戻されていた日には、多少なりとも反論したくなるかもしれない。

 訳文を仕上げる際に、最終的に重要になってくるのはバランス感覚だと思う。翻訳には“正解がない”ともいわれる。ある部分的なテキストに対して言葉の上では“A”と訳すことも“B”と訳すこともできる場合に、“A”・“B”のどちらかをその部分の絶対的な正解とすることはできない。それでも個別のケースでは、テキスト全体だけでなく読み手や書き手などの外部環境を含めた全体を考慮した上で、どちらがより適切であるかという判断を迫られる。時間的な制約もある。その判断の根拠になるのが“バランス感覚”だと、ここでは考えている。第三者にチェックしてもらった結果を素直に(ときに不愉快に思いつつも)受け入れて、自分の中で消化することにより、バランス感覚が養われていくと信じたい。たとえ意見が相容れなくても、その対立からしかバランスは得られないようにも思う。時間的に許されるならば、むしろとことん揉めるべきだと…。

 …というわけで、純粋に日本語としてのチェックをお願いしている中国語の読めない家庭内チェッカー(妻)とは揉めることが多い。

と、書いていたらチェックの仕事が入った。…>>More
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by d_kushi | 2009-07-17 21:28 | 翻訳を考える
小さな犠牲
最近、中国語にはまったく興味のない(中国を敵視している節もある)同居人に、翻訳文のチェックをお願いしている。

もちろん中国語は読めないので、日本語の訳文だけを読んでもらい、不自然に感じたところをチェックしてもらっている。

可能な限り自然な日本語になるよう心がけているつもりでも、やはり、原文に引きずられて不自然になっている部分があり、しかも、何度も推敲しているうちに自分ではその不自然さを感じられなくなってしまう。

で、これ以上直すところがないと思った段階で、同居人に読んでもらうと、おかしなところが見えてきたりする。誤訳が見つかったりも…。


日本語に対して結構細かなこだわりのある同居人と意見が対立し、
かりに、家庭内の雰囲気が悪くなったとしても、

それは、小さな犠牲。
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by d_kushi | 2006-11-04 18:11 | 翻訳を考える
慣れ
外国語は「慣れの要素が大きい」といわれたりする。
確かにそうかもしれない。

が、翻訳の場合は、外国語に慣れた上で、頭を日本語にして
外国語を読まなければならない。(通訳の方が、より切実・・・?)

翻訳の作業自体も、慣れかもしれない。

変なふうに慣れて「翻訳調の日本語」に
ならないよう、気をつけたい。
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by d_kushi | 2006-03-25 14:02 | 翻訳を考える
違和感
自分が訳した文章を読んでいて、違和感を感じることがある。
その原因には、いくつかのパターンがある。

たとえば、自分の常識にはない単語。自分が知らないために違和感を感じるが、その分野ではごく普通に使われている言葉だったりする。

たとえば、自分の思いこみ。話の流れを勝手に決めつけてしまい、原文の意味を取り違えている(最悪)。話が矛盾してくるので、落ち着いて読めばすぐにわかる…はず

あと、原文の間違い。原文の間違いを無理やり訳出してしまい、それでも意味が何となく通ってしまっていたりすると、やっかい。…原文の間違いに限らず、何となく意味が通ってしまっている誤訳は、気づきにくい。

そして、やはり一番の違和感は「日本語としての不自然さ」だったり…
(中国語としての不自然さは、なかなかわかりません)。
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by d_kushi | 2006-01-26 09:07 | 翻訳を考える