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『ほんやく修行』中国語
kushiyama.exblog.jp
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 最近、自分が納品した訳文の校閲結果を送ってもらえることがある。これが結構ありがたい。

 仕事を始めたばかりの頃は、ダメ出しで送られてきたことはあったが、最近はなかった。「チェックの仕事もお願いしたい」といわれているので、そのための参考用だと理解している。その翻訳会社の社長さんからは「校閲結果を見せると翻訳者同士が揉めるので、一定レベル以上の翻訳者にはあまり見せないようにしている」とも聞いたことがある。あきらかに自分のミスであれば、これはもう縮こまって反省を重ねながら“次の仕事が来るのを願う”しかない。が、いろいろと検討を重ねた結果として“A”ではなくあ・え・て“B”と訳出したものを、校閲でわ・ざ・わ・ざ“A”に戻されていた日には、多少なりとも反論したくなるかもしれない。

 訳文を仕上げる際に、最終的に重要になってくるのはバランス感覚だと思う。翻訳には“正解がない”ともいわれる。ある部分的なテキストに対して言葉の上では“A”と訳すことも“B”と訳すこともできる場合に、“A”・“B”のどちらかをその部分の絶対的な正解とすることはできない。それでも個別のケースでは、テキスト全体だけでなく読み手や書き手などの外部環境を含めた全体を考慮した上で、どちらがより適切であるかという判断を迫られる。時間的な制約もある。その判断の根拠になるのが“バランス感覚”だと、ここでは考えている。第三者にチェックしてもらった結果を素直に(ときに不愉快に思いつつも)受け入れて、自分の中で消化することにより、バランス感覚が養われていくと信じたい。たとえ意見が相容れなくても、その対立からしかバランスは得られないようにも思う。時間的に許されるならば、むしろとことん揉めるべきだと…。

 …というわけで、純粋に日本語としてのチェックをお願いしている中国語の読めない家庭内チェッカー(妻)とは揉めることが多い。




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 と、書いていたらチェックの仕事が入った。訳者さんからの納品が予定よりも半日ほど早かったので(分量は15枚程度)、よほど完成度に自信があるのだろうと予想(期待)してチェックをはじめたのですが…。

 自分で訳した方が早いとまではいいませんが、「時間に余裕があるのなら、訳文をプリントアウトして、せめて1回自分で声に出して読んでみてくださいよ!」といいたくなる代物。誤訳だけでなく、明らかな誤字も残っていますし、文章の切り方も不自然…。話の流れを考えながら訳文を読み返せば気がつくはずの誤訳だったり(話の流れが分かっていないから不自然な切り方になるのか?)、全く同じ誤字が1つの段落に2つあったり、完成後に自分で読み返しているとは思えません。これでどうして“早めに納品”することができるのでしょう。作業途中のものを間違って送ってしまったのでしょうか?

 「同じくらいのレベルの翻訳者さんが訳したものをチェックしてもらうので、負担は少ないはず」といわれていたので、私もこのレベルの翻訳者だと評価されているのかもしれません。そう考えると落胆します。私がチェックしたこの訳文は、訳者さんにフィードバックされたのだろうか。

 …あるいは、もしや、私のチェック能力が試されたのか???

 「直前に気がついたミスをあわてて訂正したことが誤字につながった」とかいうのではなく、納品が早め(!)だったことが信じられず、多少感情的になってしまいました。
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by d_kushi | 2009-07-17 21:28 | 翻訳を考える
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